お米は大丈夫かいな・・・

お米の放射能汚染が話題になってるね。
各地域で獲れたお米を、専門機関に持ち込んで分析し、安全性を検査してるらしい。

有名米どころの「ブランド米」っていうのが昔からあるけど、もしそういう地域から放射能に汚染された米が見つかっちゃったら大変だろうなぁ・・。
一気にブランドイメージは失墜して、高いとか安いとかの問題じゃなく、ましてや味なんて関係なく、一切売れなくなってしまう。

そうなると、検査によって「安全です」とされた地域のお米が貴重なものとなって、新たな「ブランド米」になるのかな。
味がどうのこうのと言ってた“贅沢な”基準から、安全性を問う“食品としての基本”を問う形に。

もちろん味で選んでた時にも、安全性っていうのは大前提としてあっただろうけど、今はそれ以上に切実な問題になった。


ここで頭に浮かぶのが、「偽装」ね。
産地偽装とか、消費・賞味期限の偽装とか、原料の偽装とか、今までにもいろいろあったでしょ?
食品に関して、暢気に信用しすぎてはいけない時代。
それを考えると、この放射能汚染検査の結果も、どこまで信用できるのか。
実際には汚染されてるのに、「安全ですよ」と偽って売りさばこうという輩が出てきてもおかしくない。

みんな、そこはいつも意識しておかなくちゃいけないと思うんだ。
今まで以上に厳しい取締りも必要だし、そうした体制をしっかり整えてもらわないとね。


汚染された水を海に垂れ流して、周辺の漁業をダメにした。
空中にも放射性物質を撒き散らし、農作物もダメにした。
道路も、学校も、公園も汚染された。
生活の場や環境、生きるための基礎となる食料を汚染してまで、原発に頼るべきなのか。
生活のために原発に頼り、原発のせいで生活を破壊される。
これをどう捉えたらいいんだろう。

生活していれば絶対に電気を使う。
節電するにしても、原発をゼロにできるほどの水準になるのかは、甚だ疑問。
原発がある以上、いつでも今回のようなリスクを抱えることになる。
特に原発周辺に住む人の精神的な苦痛は、これまで以上のものになってるよね。
生活のための電気。
電気のための原発
原発によって破壊される生活。
その堂々巡り。


今さら言っても遅いんだけど、「原子力発電」なんて開発されなければ良かったのにね。
人が手を出しちゃいけない領域だったんじゃないかなぁ。